「有隣」500号(2009年7月10日号)。巻頭の草笛光子さんの記事には映画祭に関連する記述がある。
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昭和二十九年にヴェネツィア映画祭に行くことになりました。英語が必要だろうと思って、教師として進駐軍の黒人の女性を紹介してもらいました。山手の方にあった彼女の住まいに行ったり、遊びに連れて行ってもらったりしたこともありました。でも、英語はあまり上達しませんでしたね。
(中略)
私はヴェネツィア映画祭の帰りに、急にニューヨークに行ってミュージカルの勉強をすることになったんです。まだ日本人があまり海外に行かないころです。たったひとりで飛行機を降りたんですが、着物を着て、「私は日本人よ」と威張っていました。しようがないですね。
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ヴェネツィア映画祭へ行くためにわざわざ英語の特訓をしたという草笛さん。ヴェネツィアの帰りにはニューヨークに行って勉強をすることになったということです。
海外へ行くことが非常に珍しかった時代のお話です。