アンリ・ラングロワ、そしてマリア・アドリアーナ・プローロ。映画を学ぶ学生であれば、この二人の名前を知らないものはまずいないであろう。言うまでもなく、ラングロアはパリにあるフィルム・ライブラリー、シネマテーク・フランセーズの創設者であり、プローロはイタリアのトリノにある映画博物館を創設した女性映画史家である。


二人に共通するのは映画愛。ラングロアは私費を投じて、ごく限られたフィルムからアーカイブの運営を始めた。だがその後数十年間で、コレクションは数千タイトルを数えるほどになった。フィルムだけでなくカメラや映写機など、映画に関わるありとあらゆるものを収集。保存や修復だけでなく、フィルムの上映にも力を入れたフランソワ・トリュフォー、ジャン=リュック・ゴダール、クロード・シャブロル、アラン・レネ、エリック・ロメールたちはシネマテークが育てたといっても過言ではない。


映画関連資料を収集していたプローロは1958年に博物館を創設する。トリノは映画の街であり、1930年代にローマに移るまで、映画の都として栄えていた。老朽化したためいったん博物館は閉館になったが、トリノのシンボルといえる塔、モーレ・アントネッリアーナの中に国立映画博物館として2000年に再オープンした。そこにはカメラ、ポスター、小道具、様々なセット。映画に関するあらゆる物が無数に展示されている。


パリのシネマテーク、そしてトリノの国立映画博物館。これらは創設者の遺伝子が現在にまで受け継がれ、映画愛に満ちあふれた文化施設となっている。創設者は起業家精神をもって、自らの信念を貫く。それを国家が助成するという構図だ。だからこそ、ラングロアが文化大臣アンドレ・マルローによって突如更迭されたとき、多くの映画人がデモまで行ってラングロワの復帰を求めたのではないか。


仮に日本にメディア芸術の総合的な博物館ができるとして、果たしてそれは起業家精神に満ちあふれ、創設者の顔が見えるものになるのだろうか。