

セバスチャン・コルデロ監督の『激情』は本能の赴くままに行動し、人を傷つけたうえ、自滅する男の物語だ。大邸宅という閉鎖された空間で話は展開する。
移民の建設作業員、ホセ・マリアはローサと恋人になったばかり。激情家のホセはローサに意地悪する近所の男たちをボコボコにする。それを知った現場監督はホセを首にするが、やはり激情家の血が災いし、現場監督を突き飛ばしたところ、現場監督は死んでしまう。
ここからが映画の中核である。ローサが家政婦をしている老夫婦の家は大邸宅で、すべての部屋が使われている訳ではない。そこでホセはその家に隠れるのだ。だが、ローサはそれに気が付かない。家に引かれた電話回線の一本からローサに電話するホセ。近くて遠い関係が続く。ホセはいつでもローサを見守り、そして監視する。『暗闇にベルが鳴る』のようなシチュエーションといえば分かりやすいか。それとも『屋根裏の散歩者』か。
老夫婦の息子はローサをレイプしたことが分かる。案の定、それを知ったホセは激情に駆られて、彼を窒息死させる。自分らよりも早く死んだ息子を悲しまない親はいない。それと時を同じくして、ローサにはホセとの間の子どもが生まれる。死に行く命と生まれてくる命。
ホセは実をいうとローサのことを全然知らない。名字も彼女の夢も知らない。そんな彼女のために、彼は自らの感情に任せて周囲の者を殺した。罪のない老夫婦は息子を失い、ホセには自分の息子が生まれる。
ラストは型通り。ホセは死ぬしかない。悲劇的なラストを演出しようとしているのかもしれないが、観客にどうやってこのような主人公の末路に共感しろというのだろうか。(了)
(2009年10月16日午前10時、映画美学校第1試写室)