
澤田直矢フェスティバルディレクター(2009年2月27日)
ゆうばり国際ファンタスティック映画祭は1990年に誕生し、国内有数の映画祭にまで成長した。だが、夕張市の財政破たんにより、いったん休止。その後、市民映画祭として2008年に復活した。
映画祭復活の立役者となったのが、特定非営利活動法人(NPO法人)ゆうばりファンタの代表理事でもある澤田直矢フェスティバルディレクターだ。
澤田は小学校に入学する前までは夕張にいたが、ほとんど札幌で育った。家業の建設業の二代目を継ぐために夕張に戻ってきたが、知っている友人もいなくなっており、よそ者状態だった。戻って数年して、ボランティアとして映画祭にかかわるようになり、そこで地域の中での澤田の位置がかなり変化した。
もともと映画が好きだったこともあるが、祭りという人と人とのコミュニケーションの場が面白くなり、映画祭にのめり込んでいった。
高校生のときに東京国際ファンタスティック映画祭が開始され、澤田はものすごく行きたいと思っていた。だが、大学を卒業して社会人となり、なかなか映画館にも通えなくなった。なおかつ建設業に従事していたため、仕事も一生懸命にやり、映画からますます遠くなっていた。そんななか、たまたまボランティアスタッフにならないかという話があり、映画祭にかかわるようになった。
「映画好きが高じて映画祭にかかわったという側面よりも外からの声の影響の方が大きかったです。 映画祭を運営することと映画を見ることとは本質的に違うことなので、映画好きイコール映画製作者になったりもしないし、ましてや映画祭の組織運営をしようという人なんてあまりいないのではないでしょうか」
だが、夕張市の財政破たんによって映画祭は中止となった。そこで、澤田らがNPOを立ち上げ、市民の手で映画祭を復活させることになる。
「市が映画祭を主催していたころも自分がボランティア組織を立ち上げたりしていましたが、NPOを作ろうと思ったのは自分からでした。使命感もないわけではありませんでしたが、もしかすると功名心や自己顕示欲のようなものもあったのかもしれません」。
「ただ、当時はそんなことを考えているよりは行動しようと思っていました。あのときにやらないと映画祭が永遠になくなってしまうだろうという直感的なものがありました」。
「同様にたぶん何とかなるだろうという直感的なものもあり、その後、大きなメディアがゆうばり映画祭の名前が欲しいとか、冠スポンサーとしてやりたいという話もありました。それは結局実現しませんでしたが、ゆうばり映画祭はある種の広告メディアとして一定の価値があるということに気付きました」。
澤田がNPOの立ち上げを意識したのは夕張市が財政破たんする前の2002年から03年ごろに地方自治体の財政が悪化してきたときだった。「いろいろなところでコストカットがされるようになり、そのなかで文化的な事業などが一番はじめに切り捨てられていたため、近いうちに映画祭も立ち行かなくなるという思いがあり、そういう思いを一緒にする人たちがNPOの立ち上げにかかわってくれたと思います」。
映画祭の開催には一定の資金が必要だ。どのように資金を工面したのだろうか。 「映画祭を復活させるのであれば応援しますと言ってくれた企業は何社かあり、そういうところをよりどころにご紹介を受けつつ、活動しました。経済産業省の協力で当時の競輪事業の助成金を受けたり、北海道庁からの支援を受けたりしながら、何とか壁を乗り越えました。復活1年目の予算は約4600万円と復活前の予算(約9800万円)の約半分になりました」。
「お金の問題のほかに、施設の問題があり、例えば、屋根が雨漏りして大ホールが使えない状態でした。そんなときに防水工事の業者さんがボランティアで工事をしていただいたりしたことも大きかったです」。
映画祭の開催には人的ネットワークも重要だ。「前の映画祭が終わっても、基本的な市民ネットワークのようなものは生きていました。映画祭を復活させたいといって会いに行ける人たちがいました。メジャーの配給会社の協力が必要であるということであれば、各メジャーのトップクラスの人たちに会っていただけたということもありました」。
夕張市を活性化させたいという使命のようなものはあったのだろうか。「ゼロではありません。もちろん自分が楽しいからやるのですが、それだけでは誰もお金を払わないので、ある種の組み立てをしなければなりません。当時は財政破たんしたということで夕張市はメディアで多く取り上げられていましたが、そのようなものはいつか終わります。継続して夕張から情報発信を考えていくのであれば、映画祭はある程度イメージも確立しています」。
「まったくゼロから何かを作り出すということは夕張市の財政力では難しいので、せっかく持っている財産を残すべきだし、生かすべきだと考えました。財政破たんした夕張のことをみんなが忘れても、年に一度は映画祭をやることで思い出してくれるということは町にとっては大きい。財政破たんした町で一番悲しいのは忘れ去られてしまうことでしょう」。
「ただ、最初から地域活性化といってしまうとたぶん違う活動になると思います。映画祭はたかだか5日間のお祭りであり、地域活性化だけを目的にするのであれば企業誘致などをした方がいい。また、夕張市民全体の総意として映画祭が成り立っているわけではないので、やはり無関心な人々も相当数いることも事実です」。
若年人口が減少するなか、マンパワーなどで苦労することもあるだろう。「できるだけ若い世代の人に入ってもらうようにしていますが、難しいものがあります。当たり前の話ですが、平日に自由に動ける人は多くないので、一本釣りするような形で引っぱってくるしかありませんが、大体うまくいきません」。
「今年からは意図的に学生の方々に入ってもらっています。今後10年間ゆうばり映画祭をここで開催しているかというとなかなか大変だと思います。施設や人的問題、一番大きいのが財政問題です」。
スポンサーに対する経済的なメリットなどの試算などはしているのだろうか。「そこまでプロフェッショナルな感じではやっていませんが、きっちりとした数字でメリットを示していかなければいけないとは思っています。今は心意気のなかで応援していただいている会社がほとんどですが、これからもう一段、協賛金を増やしていくということを考えるためには、こういうことをしていかなければいけないということは間違いないと思っています。来年を見据えるためにはそういう作業は必要ですね」。
映画祭の運営で注意していることはどのようなことなのだろうか。「腐ってもファンタスティック映画祭なので、例えば(ホラー映画で有名なイタリアの映画監督)ダリオ・アルジェント特集とかもやってみたいですが、ただ、そればかりやってしまうと地元の方がついて来られなくなるので、アルジェント特集もやるけれども、『男はつらいよ』みたいな映画もやるかということになる。そういうバランス感覚が必要です」。
2010年以降の映画祭はどうなっていくのだろうか。「3年目で一区切りなので、映画祭を単独で回していくビジネスモデルを短い期間のなかで作っていかなければなりません。今と同じ体制ではたぶん続けられないと思います」。
「基本的には映画祭をいかにスポンサーに対してメリットのあるメディアとしていくかということです。そして今、夕張の売りといわれているものをなくさないように継続していくことが大事だと思っています」。
(取材・文:矢澤利弘、2009年2月28日のインタビュー、敬称略)