『ふたたび SWING ME AGAIN』は、ハンセン病療養所から50年ぶりに戻った元ジャズトランぺッター(財津一郎)がバンド仲間を捜して孫(鈴木亮平)と共に旅をするロードムービーだ。
監督の塩屋俊はこの映画の企画を実現させるために5年をかけた。職業柄、塩屋のもとには、いろいろな原作や台本が打診されてくるが、たまたま見た台本にハンセン病を題材にした教育映画的なものがあった。
「ただ、そのままでは興味はないし、エンターテインメントとしては成立しにくいので、僕の取り組むべきものではないと思っていました。ただ、ハンセン病に対する差別や偏見というの はいまだに解決できていませんし、そもそもそんなことを知らない世代も生まれてきています」
「現在、次々と新たな病気が生まれていますが、病気になった人々に対してわれわれが無意識のうちに差別するということは、歴史の中で人間が繰り返してきたことです。そんなことに対して、作品として挑むことがあってもいい。ハンセン病については、過去には野村芳太郎監督が『砂の器』、熊井啓監督が『愛する』 で挑戦されてきましたが、僕らしく作品を描いたらどうなるのかを自問自答したところ、ジャズを使おうと思いました」
「今から200年ほど前にアフリカの黒人たちは強制的にアメリカに連れてこられて、奴隷にされました。黒人たちは自分たちの魂を解放するために、白人たちが捨てたクラシックの楽器を使いつつ、新たなエンターテインメント、ジャズを作っていった。苦痛とか慟哭(どうこく)のなかからエンターテインメントを生んでいく人間の高潔さや英知というのは素晴らしいし、であるならば、日本のハンセン病をジャズで描いてみたらどうだろうと思いました」
「日本のジャズを紐(ひも)解いていったら、神戸に最初のジャズクラブがあり、日本を代表するミュージシャンがまさに登竜門としてそこから巣立っていきま した。そこにストーリーの中心を据えて、デビュー間もない名トランペッターがハンセン病を発症し、60年間隔離され、震災後間もない神戸の町に帰ってきたらどうなんだろうという話が頭のなかですぐにできました。当初の脚本とはまったく違った話になりましたが、それを脚本家に依頼して、映画が完成するまでに 5年かかりました」
この映画は、ハンセン病という重い題材を軽快なエンターテインメントに仕上げている。
「エンターテインメントのなかに痛みがあるから皆さん共感できるのだと思います。ただ、つらいでしょう、つらいでしょうと言っても、誰も見たいと思わないのではないでしょうか」
では、重い題材をエンターテインメントに転換するポイントはどのようなところにあるのだろうか。
「キャスティングです。主人公に財津一郎さんを持ってきたことが大成功だったと思います。何人かの候補がいましたが、最もジャズを体現できる方でした。ご本人が今でもジャズライブをやっていらっしゃるし、もともと進駐軍のジャズクラブの歌手でデビューし、その後、コメディアンとしてデビューされています。 歌もうまいし、スコアも読めるし、適役でした」
「作品が重いので、浮揚させるユーモアを持っていないといけませんが、その明るさはコメディアンとしての財津一郎さんのなかにあります。音楽的な側面と演技的な側面でいうと主人公を演じられるのは彼しかいませんでした。面白い瞬間というのは狙ってできるものではありません。実際にフレームのなかにいていただければ、その人からにじみ出てくるものだから、演出らしい演出はしていません」
塩屋はメソッド演技のエキスパートとして、長年に渡って演技指導をしている。だが、撮影中に役者たちに言ったことは、「何もしないでください。そこにいてください」ということだけだった。
「鈴木亮平は2年間ほど鍛えた私の愛弟子です。鈴木亮平と財津さんを同じフレームのなかに入れたときにどのような化学反応が起きるのかなと思っていましたが、極めて軽妙かつペーソスのあるコンビになりました。観客の方には、ストーリーが自然に入ってくると思います」
藤村俊二、犬塚弘、佐川満男など、ジャズバンド仲間のキャスティングも魅力的だ。
「犬塚弘さんは最初から出演して欲しかったです。音楽的な信用度を上げるためには本物のジャズマンがいないといけないと思ったので、犬塚さんに受けていただいて本当に感謝していますし、彼がいてくれたおかげで重心がぶれませんでした。さらに渡辺貞夫さんが出演してくれたことで作品に対しての信用度が変わり ました」
音楽は作曲家の中村幸代が担当。新曲ながらスタンダードナンバーと間違えるぐらいの曲を書いている。
「時代的にはビッグバンド系ですが、映画的には収まりが悪いので、クインテットの楽曲としてスタンダードな曲がいいですねとお願いしました。一度耳に入ったらなかなか忘れられないようなメロディを、ということで2曲を書いていただきましたが、すばらしかったです。まさにスタンダードになりきっています。中村さんはジャンルが幅広いし、ポケットを持っていらっしゃいます」
韓国出身の女優、MINJIが健三郎の恋人役であるユリッペという女性と看護師の二役を演じている。
「ヒロインとして二つの役をやらせてみたら面白いのではないかとひらめきました。特訓につぐ特訓でした。彼女だけクランクインの3カ月ぐらい前から粛々と練習を毎週やっていました」
ロードムービーにしようという発想はどこからだったのだろうか。
「健三郎がたどる巡礼の旅ですから、重い題材を軽妙に描くためには風景や自然というものは色彩感覚にあふれる必要がありました。ハンセン病の療養所は無機質で、非常につらい場所ですので、そこから出た後はカラフルでバリエーションがあったほうがよいと考えました。関西には大阪という大都市や京都のような古都、神戸のような洗練された都市があり、和歌山、高松までいくと海も山もある起伏のある場所です。主人公の色々な気持ちには色々な景色が影響するだろうと 思い、ロードムービーにしました」
塩屋自身が好きなロードムービーは『真夜中のカーボーイ』だという。「反目から理解へという流れはこの映画とつながるものがありますね」
「人は絶対に一人では生きていけないので、最愛の人であり、なくてはならない人がいるはずです。映画館を出たときに、そんな人をふっと感じられるような映画です。同時に日本のエンターテインメントをけん引してきた珠玉の俳優たちが織りなすジャズエンターテインメントなので、ジャズとこの老俳優たちの最高のコラボレーションをぜひ劇場で堪能してください」
(取材・文・撮影:矢澤利弘、2010年9月28日のインタビュー、敬称略)