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(澤田直矢フェスティバルディレクター)

北海道夕張市で毎年2月下旬に開催されているゆうばり国際ファンタスティック映画祭は1990年に誕生し、国内有数の映画祭にまで成長したが、夕張市の財政破たんにより、いったん休止。その後、市民映画祭として2008年に復活した。映画祭復活の立役者となったのがフェスティバルディレクターの澤田直矢である。

20回目の映画祭は波乱の幕開けだった。映画祭初日にゲストを乗せた羽田発の飛行機の出発が濃霧のために大幅に遅れ、新千歳空港から夕張までゲストを乗せて走るJRの歓迎列車を初めてキャンセルすることになった。

「それぞれの場所でスタンバイしていたスタッフは『この状況を楽しもう』みたいな感じで始まり、初日は非常に長く感じた1日でした」

「ただ、トラブルを何とかまとめてしまうという現場力など、うちのスタッフは優秀だなと改めて思い知らされました。これが今年の象徴的なできごとで、今までの19回のノウハウがいきなり試された年でした。実際、飛行機が飛ばないというケースをシミュレーションはしていましたが、その場その場の個人の責任と判断で、きちんと対応していたというのは非常に感動的でした」

「2日目からも小さなトラブルが無かったわけではないのですが、全体的に無事に終えることができました。中身についても、小栗旬さんや森繁久弥さん、ジョニー・トーさんなどというメインストリームからコアな部分まであり、間口の広い映画祭になりました。まさに映画は間口が広いということを象徴できたような気がします。今年の予算は約4300万円で、どうにか黒字は確保できる見込みです」

20回目に当たる2010年の来場者数は 1万2223人と昨年比15.3%増となった。映画祭運営に当たって、困難なことも多いはずだ。

「まじめにやろうとしているとぶつかって当たり前じゃないですか。現場では当然激しい議論になるときもありますが、ある状況のなかでベストは何かというそれぞれの方法論が違ったりするだけであり、真剣勝負でやっていることの裏返しだと思います。運営に必要な人材は決まっているので、その質をどのようにしていくかとか、予算の資源配分をどうするかという問題はありましたが、今年はとにかく20回目を成立させることが主眼でした。逆に来年は何か変えようと思っ ています」

映画祭には多くのボランティアが参加している。ボランティアのスタッフを束ねていく秘訣にはどのようなものがあるのだろうか。

「各パートのトップの力によります。ボランティアは全然足りません。ただ、頭数がいればいいということではなく、経験や本人の持っている資質みたいなものが重要になってきます。すべてプロを雇ってしまえという考え方もありますが、夕張でやると手作りにならざるを得ないというところもあります」

ゆうばり映画祭は回を重ねて継続している。その理由についてたずねた。

「夕張でやっているからゆうばり映画祭なんです。夕張のエッセンスみたいなものを狙って出している部分と、染み出てきてしまう部分とがあると思うのですが、その場所の力や住んでいる人たちのポテンシャルを夕張は出せているという評価を頂いていますので、そういうことなのではないでしょうか。匂ってくる体臭みたいなものであるとか、雰囲気だとか。山形国際ドキュメンタリー映画祭にしても、アジアフォーカス・福岡国際映画祭にしても、続いている映画祭はみん なそうだと思います。単なる映画好きだけでもだめですし、単に映画を町おこしに利用してやろうなんていうのは最もいけない考え方だと思います。そこのバランス感覚が必要なのではないでしょうか」

映画祭の参加者は日本中から集まり、リピーターも多い。

「全員が全員ではないのですが、参加していただいた方は夕張を好きになって帰っていかれる方が多く、それでリピーターとして何度もお越しいただいているという方がすごく多いです。夕張に限ったことではないと思いますが、地方でやっている映画祭って行ったら、みんなその町が好きになって帰ってきますよね」

地方映画祭の魅力とは何だろうか。

「観光という切り口で映画祭を見ると、最近の観光というのはパックツアーではなくて、自分でレンタカーを借りたりします。風景を見たり、名所を見たりするということも重要ですが、地元の人と話せたりするとすごく面白いじゃないですか。それができる映画祭ってどこも続いています。地元の人と話して面白かったという体験。突き詰めるとそれかも知れないです。映画祭って旅ですよね。地方の映画祭って、旅の楽しみの本質みたいなところがあるのかもしれません。都市型の映画祭はまた全然違うと思いますが、『お帰りなさい』『ただいま』みたいな感じがあります」

ゆうばり映画祭は、地域映画祭のなかでは、成功事例のひとつといえるだろう。ゆうばり映画祭のノウハウや経験は他の映画祭にも同じように適用できるものなのだろうか。

「難しいと思います。足りないスタッフのなかで、何とか映画祭を成立させるのは、地元の微妙な機微とか、人間関係とか、そういう泥臭いものを知っていないとできないと思います。地域の顔役とは言わないですが、親分みたいな人も必要でしょう。この映画祭を当初立ち上げたスタッフは、そこを本当にやられていたので、今があるのだと思います」

映画祭の組織体制はどのようになっているのだろうか。

「組織体制は非常にゆるいです。縦にきっちりではなく、その場その場で対応できるプロとしての力や人間力というものをお持ちの方が集まっているので、できているのかな。そこをきっちりきっちりやったら何人いても足りません。わたしも、お金集めをし、全体的なジャッジをし、司会をし、クレーンの操作もします」

フェスティバルディレクターの澤田自身が組織の方向性を示すというよりも基本はスタッフの自主的な活動だという。

「そんなに方向性を示せているとは自分でも思っていませんし、それよりもボトムアップで上がってくるものについて、ディスカッションのなかで作っていくということでしょう」

次年度に向けた計画はどうなっているのだろう。

「今年はスケジュールが過密でしたので、それに人が対応できなかったところがあります。かといって縮小みたいなことをしてはいけないので、ドラスティックには変えられませんが、見せ方の工夫などはしないといけないと考えています」


(取材・文・撮影:矢澤利弘、インタビュー日時:2010年3月1日、敬称略)