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(ゆうばり国際ファンタスティック映画祭でのマーク・ウォルコウ、2月26日)


アメリカで日本映画の伝道師として活躍するニューヨーク・アジア映画祭のプログラミングディレクター、マーク・ウォルコウ。日本映画に魅せられた彼は映画祭当日、ふんどし一丁のスタイルで舞台に登場する。「ニューヨークのふんどしスタイルっていいですよ」と笑う。

マークが映画の世界に魅せられたのは、子どもの時からだった。日本映画だけではなく、映画であれば何でも見た。特にホラー映画やファンタジー映画が好きだった。


中学生、高校生のときはビデオレンタルショップで働いた。役者や監督になりたかった時期もあったが、あきらめた。大学では哲学を専攻。大学卒業後はロースクールに入学した。しかし、途中で興味を失い、退学。再び、別のビデオレンタルショップで働くことになる。


「そこは素晴らしいビデオショップで、海賊版やアメリカでは見つけることができないような変わった映画がたくさんありました。スタッフみんなが仲間で、映画の話ばかりしていました」と、マークは流暢な日本語で話す。日本が好きで、日本映画の仕事をしたかったから日本語の勉強を始めたのだという。


ビデオレンタル会社では、店員から始めたが、最終的にゼネラルマネージャーになった。マネージャーの仕事と兼業しながら、レビューを書くなどライターの仕事もこなした。勤務していた会社が運営する店舗も5店舗に拡大。そのビデオレンタル会社では結局、約5年間働いた。


ビデオレンタル会社では、様々なコネクションができた。「映画会社や映画監督にも時々会いました。その後、色々な配給会社で働きました。ロサンゼルスには 3年間住み、最初にレーザー・ディスクの会社、そしてDVD会社で働きました。その後、2001年にニューヨークの9.11テロのあった場所の近くに引っ 越ししました。ほぼ同時期に、ニューヨーク・アジア映画祭につながりができました」。


ニューヨーク・アジア映画祭のスタッフとは以前から友達だったが、仕事を一緒にするような関係ではなかった。「しかし、彼らから日本映画に関する仕事を依頼されたのです。私は約10年間、真面目に映画や映画祭の仕事をやってきました。ニューヨーク・アジア映画祭と仕事上のコネクションができた後、他の映画祭の仕事をしているうちに、段々と映画関係の仕事の依頼が来るようになりました」。


特に日本映画の仕事については、ニューヨーク・アジア映画祭の仕事をしながら、多くの映画監督や映画会社の人々に会い、仕事を受けるようになっていった。


「知り合いから仕事の依頼が来たわけです。友達からは、彼は普通のマニアではない。真面目に仕事をしていると評価してもらえました。仕事もまあまあできるし、コネクションもある。マニアだけど、ただのマニアではない。特別なマニアとでもいうのでしょうか」。


【つづく】


(取材・文:矢澤利弘)