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 初公開時には多くの評論家から悪評ばかりだった映画が、時が経つにつれて、次第に好意的な評価に変わっていくことがある。時代が作品に追いついたのだろうか。それとも作品が理解されるまでに時間がかかったのだろうか。
 画家フィンセント・ヴァン・ゴッホは、生前に売れた絵画がたった一枚だったといわれているように、作品が後になって再評価されるというのはよくある話だ。
 思いついたところをあげると、マイケル・チミノの『天国の門』やブライアン・デ・パルマ監督の『スカーフェイス』は、劇場初公開時には評論家から散々な評価を受けたが、後年になってカルト的な人気を得るようになった作品だろう。
 ウイリアム・フリードキン監督の『恐怖の報酬』もそんな一本ではないだろうか。この映画はアンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督のフランス映画の名作『恐怖の報酬』のリメイクである。初公開時には、クルーゾー監督版と比較され、クルーゾー版には遠く及ばないといった論調のレビューが日本では多かった。
 アメリカ公開版は約2時間だが、日本公開時には約90分の短縮版で上映された。これも低い評価につながっている可能性がある。ただ、こういった作品評価の低さや編集の問題だけではなく、当時は興行も低調だった。フリードキンはプロデューサーも兼ねており、彼の悪い意味での転換点になってしまった作品でもある。
 リメイク映画を評価する場合、どうしてもオリジナルとの比較の視点がでてきてしまう。ただ、リメイクはリメイク作品として独立した評価をするべきではないだろうか。そういった点で、オリジナルを見ていない者がする映画の評価のほうが結果として正しいのかもしれない。

 ストーリーはクルーゾー版とほとんど変わらない。社会の底辺で生きている男4人が、高額の報酬を得るために一触即発の危険物ニトロ・グリセリンをトラックで目的地まで運ぶというサスペンス劇である。
 映画の構成はきわめて基本に忠実だ。全体の三分の一で登場人物たちのバックグラウンドをきっちりと紹介していく。

 次の三分の一で、男四人に危ない仕事が課せられる。そして映画の上映時間のちょうど半分が過ぎる頃、彼らは目的地に向かってトラックで出発する。そのあとは、暴風雨のなかを壊れかけた吊り橋を渡ったり、嵐で倒れた大木で唯一の道が塞がれてしまったという危機的な状況を、知恵と度胸でなんとか切り抜けたりと、数々の見せ場が用意されている。

 上映時間の最初の三分の一を占める主人公たちのバックグラウンドの説明が冗長にも思えるが、やはりこの部分があるからこそ、映画に深みが出てくる。細い山道をトラックが怖々と進む描写は実にスリリングであり、撮影が困難を極めていただろうということが容易に想像できる。

 サントラ盤を聴いてみると、ドイツのプログレッシブロックグループ、タンジェリン・ドリームの音楽は力作だが、映画ではところどころに短く控えめに使用されているだけである。ドキュメンタリータッチを追求したゆえのことかもしれないが、音楽を垂れ流すような使い方はしていない。

 カナザワ映画祭での爆音上映では、油田の爆発音だけでなく、特に銃声が極めてはっきりと聞こえた。最後の最後、酒場に響く鈍い銃声を爆音で聞かせることができただけでも、この映画の価値をさらに高めることになったのではないだろうか。


(2014年9月12日午後7時、金沢都ホテルセミナーホール、カナザワ映画祭2014)(矢澤利弘)