絶え間ない悲しみ_main



 小説のページをめくっていくように、メキシコの片田舎の情景と、そこに住む人々の暮らしが淡々と描かれていく。ホルヘ・ペレス・セラーノ監督によるメキシコ映画『絶え間ない悲しみ』は、物語を進めるための説明というものを排除し、寡黙な描写に徹している。

 ひと月ごとのいくつかの章に分かれているという構成。それぞれの章が独立しており、小説のような語り口で進んでいく。序章、本文、終章といった趣で、映像の画面比が変えてあるのに違和感を覚えるが、監督によると、「それぞれのフォーマットを変えることが効果的だと考えた」のだという。

 林立するサボテン、水気のない乾いた土地、塩田、そんな素朴だが美しいメキシコ南部の風景のなか、そこに暮らす女性二人と彼女らに関係する一人の男を軸に作品は展開していく。二人の女性チェバとアンヘレス・ミゲルは、塩を作る仕事をしているシルベストレの子供を妊娠している。だが、チェバには出稼ぎ中の夫がおり、アンヘレス・ミゲルにとってはシルベストレは義父という複雑な関係にある。チェバは子供を出産するが、夫が帰ってくるため、子供をアンヘレス・ミゲルに押し付ける。当然、シルベストリは無責任にも知らん顔だ。センセーショナルな物語にも思えるが、メキシコではよくありそうな話を題材にしたのだという。

 万人ウケする作品ではない。映画を見た人が自由に解釈を広げることができるように、意図的に説明を排除し、あえてストーリーをオープンにしてある部分が多々存在する。そのため、ハリウッド流の映画になれている観客にとっては、首をかしげる部分も多々あるだろう。それに対し、ソラーノ監督は、表現したいことは役者の動きやカメラワーク、映像で表現したと説明する。各人物には色があり、それはその人たちの歴史や人生を表す。例えば、白は純粋さ、清潔さを示す。アンヘレスは行き詰まったときに自分自身を清めるために塩の山に入っていく。

 ソラーノ監督は脚本を書く前に、舞台となった土地に住む民族がどのような伝統を持っているかを調べた。映画のなかには生まれた子供のへその緒をカゴに入れて木に吊るすといったメキシコの独特な風習が印象的に登場するが、これには子供にこの地を離れて欲しくない、という願いが込められている。

 映画には「伝統よりも自分の必要性が大事だ」というセリフが出てくる。多くの人々がアメリカに移住し、村々がゴーストタウンになってしまっているのがメキシコの現状だ。それがソラーノ監督の象徴したかったイメージだという。

 メキシコ映画には100年の歴史があるが、海外に出ていく作品は年に3、4本に過ぎない。本作も必ずしも分かりやすい作品とはいえず、商業的な映画とは真逆な位置にある作品だが、一つ一つのシーンには映像でしか語り得ないメッセージや意味が込められている。

写真:(c)TIRISIA CINE

(2015年7月22日午後2時30分、SKIPシティ多目的ホール、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭)(矢澤利弘)

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ホルヘ・ペレス・セラーノ監督(撮影:矢澤利弘)