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 「あー、怖かった」。上映後、観客席のどこからかこんな声が聞こえてきた。塚本晋也監督の『野火』は戦地となっている密林を生きるためにさまよい歩く兵士の体験を描く。

 大岡昇平の同名の原作小説では、第二次世界大戦中のフィリピン・レイテ島が舞台となっているが、映画のなかではそれが明示されていない。だがら、どこかの島の日本兵がなんとか生き延びようともがく様子だけが特に説明もないまま描かれていく。

 確かに怖いことしか描かれていない。上官から叱責される恐怖、食料が尽きて餓死する恐怖、敵から銃撃、爆撃される恐怖、原住民から襲われる恐怖、そして同じ日本人によって殺されるかもしれないという恐怖。戦地は死体であふれ、兵士たちの肉体は敵の銃弾によって徹底的に破壊される。手足がもげ、顔は原型をとどめないぐらいに崩壊する。
 
 これは戦争映画なのだろうか。登場するのは密林とわずかな登場人物だけで、英雄は一人もいない。彼らは姿の見えない恐ろしい敵から逃げまわるだけだ。だから、戦争映画ではないのかもしれない。明確なメッセージを提示することはせずに、戦場の恐ろしさだけをひたすら描写していく。これを見てどう考えるかは観客に委ねられているが、やはり「あー、怖かった」というのが正直なところなのではないだろうか。だが、本当に「怖かった」という過去形で済ますことができるのだろうか。

(2015年7月29日午後12時55分、サロンシネマ1)(矢澤利弘)


写真:(c)SHINYA TSUKAMOTO/KAIJYU THEATER

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