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 つい15年前まで、トルコではクルド語を話すことが禁じられていたのをご存知だろうか。クルド人は、イラン、イラク、トルコ、シリアに広がる山岳地帯にまたがって暮らす少数民族である。トルコには2000万人以上のクルド人が住んでいる。だが、クルド語の本を読んだり、クルド語の歌のカセットテープを持っているだけで当時は投獄されたのである。

 エロル・ミンタシュ監督の『望郷のうた』は、あるクルド人の母親と息子の日常を描くことで、クルド人たちが直面している現実の問題をあぶり出していく。

 トルコの山岳地帯を追われ、大都会イスタンブールに移住したクルド人たちも少なくない。90年代、彼らは出身地別にまとまって貧しい地域に住み着くが、そうした場所はスラム化し、不法な住居が建てられていく。それを打開するために、政府は再開発計画を実行。ブルドーザーが住まいを壊し、住民は追い出されて散り散りになっていく。この映画は、再開発で郊外のアパートに転居を余儀なくされた小学校教師のアリとその母親にニガルの生活を追っていく。

 アリが学校で授業をしていると、突然警察がやってきて、教室内を調べ始めるというシーンがある。このくだりは日本人にはなかなか理解できないかもしれない。これは、教室内でクルド語を話していたという容疑で民間警察が捜査に来たということを示している。クルド人が作った教会などで、細々とクルド語を子供達に教えることはあったが、公に学校で教えることは禁止されていたのだ。クルド民族の存在は認められていたが、そもそもクルド語というものは存在しない(方言にすぎない)とされていたのである。言葉や文字がなくなってしまえば、彼らの歴史や文化もいずれ忘れられてしまうだろう。

 転居後、母親のニガルは、近所付き合いもない。隣人たちはトルコ東部の彼らの村へ帰ったと思い込むニガルは、故郷の村に帰ることだけを望むようになる。そして、故郷のクルド民謡を聴きたいと息子にせがむ。アリは母親が聞きたいという歌手のテープを街中で探すのだが、その歌声はなかなか見つからない。ミンタシュ監督によると、「クルド人にとって、歴史は文字ではなく、歌によって後世へ伝えられている」。歌が収録されたカセットテープが見つからないということを通じて、クルド民族の歴史が失われてしまうという危機的な状況を感じざるを得ない。

 恋人が妊娠する一方、母親はいよいよ夢遊病者のように、村へ帰ろうとして町をさまよい歩くようになる。恋人と母親という二人の女性に板ばさみとなったアリは追い詰められていく。

 ここ15年はクルド人に対する弾圧はなく、クルド映画を作ることも認められるようになった。この映画もトルコ語とクルド語が使われている。こうした環境の好転は救いである。ミンタシュ監督によると、この映画のトルコでの公開時も襲撃などが危惧されたが、結果として平和的に受け止められたという。

 アリは今日も小学校で授業を続ける。本作は、2014年度のサラエヴォ映画祭で最優秀作品賞と男優賞を受賞している。


(2015年9月23日午後3時50分、キャナルシティ博多スクリーン5、アジアフォーカス・福岡国際映画祭)(矢澤利弘)

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