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一番近い人なのに、実はよく知らない人。それは自分の親なのではないだろうか。李念修(リ・ニェンシウ)監督の『河北台北』は、娘である監督が12年に渡って、激動の人生を生き抜いた父親の生活を撮り続けたドキュメンタリーである。山形国際ドキュメンタリー映画祭コンペティション部門出品作。

監督の父で、本作の主人公にあたる李忠孝(リ・チャンシャオ)は、1927年に中国河北省で生まれた。幼い時に父親を殺され、故郷の村を離れて各地を転々とする。国共内戦では、国民党軍に参加、敗戦後は共産党員に。援軍として送り込まれた朝鮮戦争では捕虜となる。その後、国民党政権下の台湾に渡ってからは、一度も中国本土に戻らなかった。

そうした李の人生を、娘である監督が丹念に記録し、記憶を頼りに父の足跡をたどっていく。2000年に撮影を開始し、15年をかけて完成させた。そもそもの始まりは、父親が、当時は高校生だった娘に、自分の人生を記録してほしいと依頼したことがきっかけだった。当初は小説にするつもりだったが、大学で映画を専攻したことから、映画で記録を残すことにした。

3人体制で撮影を続け、当初の10年間は、ただ父を撮っていただけだった。撮影を始めたばかりの頃、娘は、父が語る人生の経験はすべてフィクションではないかと疑っていたという。(まるで、ティム・バートン監督の『ビッグ・フィッシュ』のようだ。)

2011年に転機が訪れる。台湾からの助成金が得られることになり、中国での撮影が可能になったからである。台湾にいる間に中国での適切な取材対象者を見つけることはできなかったが、とにかく実際に中国へ旅立つことにした。台北から中国・河北省、山西省、そして韓国までの5,000キロを超える撮影の旅。それは父が成し遂げることのできなかった帰郷の旅でもあった。

あてもなく、手探りで始めた取材だったが、中国では、偶然出会った人々がつながりだした。まさに話を聞きたいと思っていた人々に、次々と出会うことができたのである。

父の話を疑っていた娘だったが、こうした旅を通じ、何も知らなかったのは、自分自身だったことを強く認識するようになった。

それにしても李忠孝のキャラクターは強烈そのもの。人とはかけ離れた人生観を持つ人物だ。例えば、彼が女装をするシーンがあるが、そのときのかつらや服はゴミ置き場から拾ってきたものだ。

「親孝行したい時には親はなし」ということわざがある。李念修監督にとって、この作品を撮ることによって、父親の人生への理解を深めることができたということは、それだけでも幸せだったといえるだろう。

(2015年10月10日12時45分、山形市中央公民館ホール、山形国際ドキュメンタリー映画祭)(矢澤利弘)

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李念修監督(中央)(2015年10月10日、撮影:矢澤利弘)