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広島国際映画祭では22日午後3時15分からダヴィ・チュウ監督の『ゴールデン・スランバーズ』が上映された。チュウ監督はフランス在住のカンボジア系の映画監督で、この映画は、カンボジアの映画史を発掘するドキュメンタリーである。ゴールデン・スランバーとは黄金のまどろみを意味し、ビートルズの曲にも同様のものがある。1960年から75年にかけて、カンボジアの首都プノンペンは映画の都として東南アジアに君臨し、400本に達する映画が製作された。しかし、75年にポル・ポト率いるクメール・ルージュが政権を握ると、映画のほとんどが処分され、多くの映画人が殺された。現存するフィルムは30本に過ぎないと言われている。

上映後にはプロデューサーのジャッキー・ゴルドベルグさん(写真左)による質疑応答が行われた。(聞き手は岡田秀則さん(写真右))

「監督のチュウはフランス生まれのフランス育ちで、両親はカンボジア人です。2008年までカンボジアに足を踏み入れたことがありませんでした。チュウのおじいさんもカンボジアの偉大な映画監督でした。カンボジアに2008年に行き、失われた映画について感銘を受け、映画にすることを決めました。そこで私たちは制作会社のヴィッキー・フィルムスを作り、お互いの作品をプロデュースしあうことにしました。2010年になってチュウは1年間カンボジアで過ごし、クメール語を勉強しました。証言者を探し、インタビューをしていきました。私はその間、予算集めに奔走しました。2011年、私もカンボジアでチュウと合流し、4-5人のグループで撮影を続けました。その後、フランスに戻り、編集をしました。最初の上映は2012年のベルリン映画祭でした。5人の関係者もゲスト参加してくれました」

フィルム以外の素材など、あらゆる手を尽くして映画史を作ろうとしていますが、逆に現存しているフィルムはこの映画には使われていません。これはどうしてでしょうか。
「それは核心を担う考えです。当時のカンボジア映画の大部分が失われ、10〜15本しか残っていません。残った映画を見せなかったのは、映像に頼るのではなく、想像して欲しいと思ったからです。こうした方法によって、頭のなかで再構成していくのがコンセプトでした」

シネフィルと呼ばれる人々が崇高に見えますね。
「2人のシネフィルが出てきますが、そのうちの1人が感動的なことを言っていました。「両親の顔は覚えていませんが、映画俳優の顔は覚えています」という言葉です。もう1人、重要な人の存在があります。映画には出演していませんが、その人は400本のリストを作って、ネット上にアップしています。その人は映画をすべて覚えていて、リストにしてくれました」

フランスでの反響はどうだったのでしょうか。
「フランスではテレビで放映されました。テレビには50分しか枠がないのでカットしてくれと言われましたが、プロデューサーに映画を見せたところ、全編を放映してくれました。次に、ベルリン映画祭で配給会社が決まりました。フランスの映画館で上映できることになり、2012年9月に公開され、1000人が見てくれました。この数字は、ドキュメンタリー映画としては成功したと考えています。関係者5人の貢献があり、現存するカンボジア映画の3本がベルリン映画祭で上映されました」

(2015年11月22日午後3時15分、NTTクレドホール、広島国際映画祭)(矢澤利弘)