サーミブラッド


いつの時代にも、どんな場所にも差別は存在する。虐げられた者たちはチャレンジすることをあきらめなければいけないのか。アマンダ・ケンネル監督の『サーミ・ブラッド』(劇場公開題『サーミの血』)は、トナカイ飼育を行う少数民族の少女の生きざまを描く。

サーミ族はノルウェー、スウェーデン、フィンランド、ロシアの北部に居住する少数民族である。1930年代、彼らはスウェーデン人によって劣等民族として扱われていた。子供達はサーミ語を話すことを禁じられ、スウェーデン語を強要されていたのだ。寄宿学校では骨相学的検査のために全裸で写真を撮られることを強制される。そんな扱いから抜け出たいと行動するのが、この映画の主人公エレ・マリャだった。

東京国際映画祭では、30日にアマンダ・ケンネル監督と主人公を演じた女優レーネ=セシリア・スパルロクの記者会見が行われた。 

ケンネル監督は2006年から短編映画を撮り始め、高い評価を得ている。監督自身もサーミ族の血を引いているという。「自分の親族はサーミ族であることを嫌っている。サーミ語を話してはいけないという教育を受けた。アイデンティティを消し去ることや伝統を否定することはどういうことなのかを考えながら映画を作りました」とケンネル監督は制作の原動力となった事情を打ち明ける。

14歳の主人公エレ・マリャは優秀な女子学生だ。だが、進学を希望すると、教師からは推薦状を書くことを断られる。この学校からは進学はできないと。サーミ族の脳は劣っており、社会生活に適応できないというのだ。マリャは名前を変え、都会の学校へ入学しようとする。マリャを演じるスパルロクが、ごく自然な演技で少数民族の絶望と意地を表現する。彼女自身も役者をしていないときはトナカイ飼育をしているのだという。だが、映画に描かれているように、トナカイ飼育を恥だとは思っていない。「この仕事が好きで、誇りに思っている」とスパルロクは自分の仕事に自信をみせる。

自分の生まれた境遇を受け入れ、無理をしないでそのまま生きるべきか。それとも知識と教養を身につけ、人生の選択肢を広げるべきなのか。映画は主人公が都会の学校に進学するまでを描いている。見ているうちに主人公の人間力にぐいぐい引き込まれ、えっ、ここで終わってしまうの? と感じることだろう。だが、心配は要らない。
残りの人生は次回作で描く予定とのことだ。


(2016年10月30日午後7時50分、東京国際映画祭)(矢澤利弘)