piuma


子供を産み、育てることは人生の終わりなのだろうか。ロアン・ジョンソン監督の『ピューマ』は、10代で子供を産むことになった若いカップルの出産までの9カ月間を日記風に描く。

若いカップルのカテとフェッロ。カテが妊娠し、ふたりはフェッロの実家に居候することになる。ふたりはせっかくの長期休暇に旅行に行けないと嘆いたり、子供気分が抜けきらず、無計画だ。ふたりの両親もトラブル続き。生まれてこようとしている赤ちゃんの将来はどうなるのだろうか。

物語は出産までをカウントダウンするように、時系列に淡々と進む。夜遊びが止められず、勢いではとことセックスして妊娠させてしまうなど、親になる男として自覚のないフェッロの行動に観客はイライラさせられるだろう。だが、映画の語り口はいたって軽く、映像の色もパステル調で明るい。大量のおもちゃのアヒルを海に浮かばせたり、ローマを上空から俯瞰で捉え、その上をふたりがすいすいと泳いでいくシーンなど、軽妙な映像上の仕掛けが新鮮だ。

ピューマPiumaとはイタリア語で羽のこと。生まれてくる子供にふたりがつけた名前である。若すぎるカップルが子供を育てざる得なくなるというドラマは決して珍しくない。予期せずに妊娠してしまう原因の一つにはそうしたカップルの「だらしのなさ」があるだろう。この映画の登場人物たちも、それぞれがどこかだらしない。避妊をしなかっただらしなさ。出産を控えても職もなく、家もないというだらしなさ。親は親で、カテの父親はギャンブル狂で金に苦労している。フェッロの両親は喧嘩ばかり。フェッロも、カテがいるにもかかわらず、はとこを妊娠させてしまうように女にだらしがない。

だが、子供というものはいつの時代でも希望を示す存在だ。この映画は、こうしただらしない人間たちの小さな希望の物語である。

(2017年5月5日、有楽町朝日ホール、イタリア映画祭2017)(矢澤利弘)