韓国映画博物館は、ソウルのデジタルメディアシティの一角に位置する韓国映像資料院の1階にある。映像資料院の建物内には、地下1階に3スクリーンの映画館、2階には映画図書館がある。3階以上はフィルムの収蔵庫と職員のためのスペースとなっている。

映画博物館の常設展示は、韓国映画史をテーマごとに13セクションに分けて資料を展示しており、加えてアニメーションのコーナーとイベントスペースが設けられている。入場は無料。

映画博物館の入口を入ると、Scenes of Koreaと書かれた電飾の掲示が目に入る。


入ってすぐ、正面に向かって右側の壁に書かれているのは第1のセクション「映画の誕生」。映画学をかじったことのある人々にとっては常識の範囲内かもしれないが、1893年のエジソンによるキネトスコープの発明、1895年のリュミエール兄弟によるシネマトグラフの発明など、名前と方式は異なるにせよ、この時期に世界各国で映画の原理が同時多発的に開発されたことが時系列で説明されている。リュミエール兄弟の『工場の出口』などもモニターでリピート放映されていた。展示の表記はすべてハングルと英語の併記となっており、外国人の来館者を意識していることが分かる。

続いて左側の壁には、活動写真が初めて朝鮮に入ってきたときの経緯を解説した第2のセクション「素晴らしい体験の始まり 活動写真が朝鮮にやって来た」のコーナーがある。


活動写真が朝鮮に入って来たのは19世紀末から20世紀のはじめ頃。アメリカの旅行家バートン・ホームズが紹介した。ホームズは1901年に韓国を訪問し、ソウルの様々な様子を撮影し、それを皇室で上映した。展示では、ホームズが日本や朝鮮などを旅行した足跡を地図上に示して説明を加えている。

3番目のセクションは「韓国映画の100年」。映画の誕生から最近までの映画史を、世界の流れと韓国の流れを対比させながら、年表形式で示している。



年表の途中にモニターを2カ所配置して参考 像を放映している。当初は世界から遅れていた韓国映画だったが、徐々に世界に追いついていく様子が分かる。

4番目のセクションは「近代、植民、朝鮮映画」について。「日本の植民地時代は搾取と抑圧の時代だった。そして近代社会に向けた真剣な改革の時期だった」から始まる記述が付されており、日本に対しては全体的にネガティブな説明になっている。


1900年代初期から1919年まで、朝鮮では映画が作られることはなく、もっぱらアメリカやヨーロッパから映画が輸入されて公開されるだけだった。1919年には完全な映画とは言い難いものの、初の韓国映画とされる『義理的仇討』が作られ、1924年にはキム・ヨンファン監督の『薔花紅蓮伝』が、はじめて朝鮮の資本と人材だけで作られた。さらに、1935年の朝鮮初のトーキー映画『春香伝』を皮切りに、サイレント映画に比べて映画製作に資本力が必要とされるようになったため、映画会社による映画製作が広がっていく。しかし、1940年代に入ると朝鮮の映画は政府の支配下に置かれるようになった。



「韓国の日本からの自由化と朝鮮戦争」が5番目のセクション。


日本の植民地支配からの解放が進むにつれて、韓国の映画製作者たちは映画産業の立て直しを図っていく。しかし、日本の支配下で映画製作は大きな打撃を受けた。そのため多くの映画は16ミリフィルムで制作され、時折、音のない映画が作られることもあった。

しかし、そのような状況下でも、1946年のチェ・インギュ監督の『自由万歳』や1949年のユン・ヨンギュ監督の『心の故郷20』など、韓国映画史に足跡を残す映画が作られた。しかし1950年の朝鮮戦争によって韓国映画界は再び困難な状況に陥る。多くの映画人は戦線に派遣され、主に記録映画を撮るようになっていく。

6番目のセクションは「魅惑と混沌」。1954年には18本しか作られなかった韓国映画は、1959年になると100本以上が作られるようになった。この時期は、戦後の混乱と同時に、現代消費文化の典型であるアメリカ文化が流入し、この頃の韓国映画には、伝統と現代が混在した当時の生活の様子が描かれている。

1960年代は韓国映画のルネサンスと呼ばれている。7番目のセクションは「韓国映画のルネサンス」。


1960年に90本だった韓国の映画制作本数は、1969年には229本に増加。1969年には観客数も1億7000万人を超え、1人当たりの年間鑑賞本数は約6本となった。

展示では、1960年代のソウルの映画館の状況や映画製作に関する時系列の統計グラフが示されている。



8番目のセクションは、「青年文化の時代」。


1970年代には韓国映画は低迷期を迎える。1969年には229本あった映画の製作本数も1975年には83本に落ち込んだ。作られた映画も低予算で質の低いものだった。これはテレビの普及や、経済成長に伴うレジャーの多様化、そして検閲の厳格化と映画政策の失敗によるものとされている。

その一方で、1970年代半ばから、イ・ジャンホやハ・ギルジョン、キム・ホソンなどの新人監督が現れ、青年映画を旗印に新しい表現による映画を制作した。また、1970年代後半には、いわゆるハイティーン映画がアクション映画とともに観客から好まれるようになった。

1970年代に始まった映画界の不況は、1980年代に入るとさらに悪化していく。9番目のセクションは「変化の風」と題されている。



新しい映画政策によって、性表現に対する規制が緩和され、結果としてエロティック映画が量産されるようになった。こうした映画は、大衆には受け入れられたが、韓国映画の国際的な評価を落とすことにもなった。しかし、1980年代末に民主化が進み、素材の制約がなくなったことで、若い監督たちが登場してくる。この時期を代表する監督たちは、後になってコリアンニューウェーブと名付けられることになる。

1990年代に入ると、韓国映画は新しい環境に直面する。10番目のセクションは「映像文化の爆発」。


ビデオ市場が拡大し、ケーブルテレビが始まると、多くの企業が映画産業に進出するようになった。企業からの資本をベースに若い映画人たちは映画制作の古い慣行を変え、これまでとは異なる商業映画を制作し、韓国映画の新しい流れを作り出した。IMFによる救済を糧に登場し始めたシネコンは、韓国映画産業の規模を拡大し、映画の消費方法に変化をもたらした。この時期には、韓国型ブロックバスター映画が製作され、韓国映画が主要な国際映画祭で好評を博するようになった。韓国映画は国際展開を施行するようになり、2000年代になると、韓国国内に限らずアジア、さらには世界中で消費される「韓流」の時代を迎えることになった。

セクション 11番目の「アーカイブ」では、韓国映画で流れた音楽を聴き、映画のポスターを見ることができる。


韓国映画の歴史を始めとして、作品、監督と俳優等に関する情報をメニュー別に選び、その内容を検索することができる。

12番目のセクションは「韓国映画100選」だ。



2013年に韓国を代表する映画史研究家、批評家、映画人にアンケートを行い、韓国を代表する映画100本を選定した。その結果、選ばれた作品を100分割された大型スクリーン上に投影している。



また、「韓国映画ナウ」として近時の代表的作品の資料が展示されている。


13番目のセクションは「映画人」。


このセクションでは、「韓国映画100選」に挙げられた作品のキャストやスタッフが紹介されている。国内外の映画祭で受賞歴のある映画人の中でも、韓国映画の発展に貢献したとされる女優33人、男優35 nim、監督50人、映画スタッフ24人、合計142人の映画人に関する展示がされている。

その他、映画の撮影現場の様子を示す模型が展示されている。


「アニメーションと映像の原理」のコーナーでは、映画が誕生する前の映像原理が分かる視覚器具やアニメーションの制作過程が段階別に紹介されている。



マジックランタン、ソーマトロープ、フェナキストスコープ、ゾエトロープ、プラキシノスコープなど19世紀の視覚器具と、アナログアニメーション用の制作ツールであるアニメーションスタンドなどが展示されている。

なお、韓国フィルムアーカイブは1974年に設立され、映画フィルムや映画資料を国家レベルで収集する韓国唯一の機関である。


韓国映画博物館は、常設展のスペースと企画展のスペースに分かれている。入口から入って左側が常設展、右側が企画展のスペースになっている。

このときの企画展のコーナーで紹介されていた展示物の説明はハングルのみで、英語の表記はなかった。





建物の2階には映像関連の図書館がある。


また、地下1階は大小3つのスクリーンを持つ上映ホールになっている。

映画館への入口

 スクリーン1

スクリーン2

スクリーン3

チケット売り場



韓国映画博物館は、映画の誕生から韓国の映画産業の現状までを時系列に解説し、関連資料を展示した極めてオーソドックスな作りとなっている。解説文はハングルと英語が同等の扱いで併記されており、海外からの訪問者を十分に意識しているのがわかる。音声ガイドは韓国語と英語の二カ国語が用意されており、スマートフォンにダウンロードして使用することができる。紙ベースのパンフレットは数カ国語が用意されており、日本語版もある。

ハングルと英語で書かれた博物館内の説明文では、日本の植民地支配に対して、はっきりとネガティブな記述をしているが、日本語版のパンフレットにはネガティブな記述の部分の翻訳は省略されているので注意が必要だ。

2階にある映画図書館と地下1階にある3スクリーンの映画館と合わせ、韓国映画の歴史的な全貌を短時間で紹介する施設として、韓国映画博物館は極めてユニークな存在であるといえるだろう。


(2017年8月2日、韓国映画博物館)(矢澤利弘)