東京国際映画祭でSAMURAI賞を受賞した音楽家の坂本龍一が1日、若手のクリエーターを対象にしたセミナー形式のトークイベントを東京・港区の六本木アカデミーヒルズで行った。映像と音の関係をテーマに、手がけてきた映画音楽の軌跡をたどるとともに、自身の映画音楽論を展開した。
坂本が映画音楽を始めて手がけた大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』の話題から、トークイベントが始まった。
映画音楽というものは、作曲家自らがやりたいと手を挙げるのではなく、映画監督やプロデューサーから発注がくるのを待つのが一般的だ。だが、『戦場のメリークリスマス』は坂本自身がオファーした。大島監督から映画への出演を依頼された際に、坂本が「音楽もやらせて欲しい」と言ったところ、その場で、音楽も依頼された。
最初にいいと思った映画音楽はニーノ・ロータの『道』(フェデリコ・フェリーニ監督)、そして『太陽がいっぱい』(音楽:ニーノ・ロータ)や『第三の男』(音楽:アントン・カラス)も好きだった。ヨーロッパの映画が多かったという。
『戦場のメリークリスマス』は、荒編集のビデオを見て、音楽を入れたい場所を決めた。そして、それを大島監督と擦り合わせたところ、95%ぐらいが一致していた。クリスマスソングにしようと思ったが、暑い島の話なので、普通のクリスマスソングにはしたくない。そこで2週間ぐらい試行錯誤した。だが、作曲自体はそれほど苦労しなかった。
今、聞いてみると、シンセサイザー的な曲には感じない。そしてメロディは反復的なものが多くなっている。『戦場のメリークリスマス』の音楽について、坂本が今考える反省点としては、映画の場面に合わせて作曲したので、曲が切り張り的になっていること。つまり、場面場面にはマッチするが、映画全体を貫く曲の統一感がないのだ。だが、「切り張りっぽいとは思うが、変わっているとも思う」と自己評価する。
『ラストエンペラー』を頼まれたときは、シンセサイザーを使いたかった。そこで、ロンドンへ持って行き、監督のベルナルド・ベルトルッチの前で曲を披露したが、却下されてしまった。演奏者の衣摺れの音が聞こえないというのだ。そこで、オーケストラ編成で曲を書いた。もっとも、同映画のもう一人の作曲家デビッド・バーンがシンセサイザーを使ったいうことを後で知り、納得がいかなかったようだ。
『ラストエンペラー』では、45曲を作ったが、映画で使用されたのは半分だった。この映画は長尺である割には音楽が流れる部分は少ない。これに対して、坂本は「いい映画には音楽は必要ない。映像に力があれば、そんなに音楽はいらない」との持論を披露した。
坂本は武満徹が音楽を書いた『怪談』(小林正樹監督)を紹介しつつ、この映画では「音楽のなかに効果音的なものが入っている」と説明、映画音楽はひとつの音だけでも成立するという一音主義について触れた。
『レヴェナント:蘇えりし者』(アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトウ監督)の音楽では、途切れ途切れの隙間のある音楽にした。隙間に自然音が入るようにしたのだという。もっとも、イニャリトウとはすんなりとは仕事が進まず、コンフリクトだらけで、音楽を完成させるまでに足かけ6カ月ぐらいかかった。「いくら正しいと思っても監督には逆らえない」というのが映画音楽の宿命だという。
『リトル・ブッダ』(ベルナルド・ベルトルッチ監督)では、監督から何度も「悲しい曲を書け」と言われ、何度も書き直した。書くたびに、「もっと悲しく」と言われたが、4曲目のときには、「悲しすぎる」と言われ、5回目に書いた曲が採用されたという。(ただ、4曲目も別のシーンで使われた。)『リトル・ブッダ』についての反省点としては、「今聴くと、詰め込み過ぎたった」。
映画音楽用ではないオリジナル曲と映画音楽の間には、坂本にとって、テクニカルな作業においてはあまり変わるところがないという。
『戦場のメリークリスマス』を振り返ってみると、出演者の北野武はのちに映画監督としても活躍している。坂本は映像制作についての興味はないのだろうか。そうした疑問に対して、坂本は「自分にはビジュアルの才能がない」と断言する。大島渚監督からは「(映画を撮らない)お前は卑怯だ」と言われたというが、「才能がない人はやっちゃいけない」との持論を強調した。
(2017年11月1日午後3時、六本木アカデミーヒルズ49階タワーホール)(矢澤利弘)